河童の質流れ 二
このお話は5回で完結です。

この後妖怪短編シリーズとして3話を用意しています。
「続きを読む」でお話を読んでください。
■作品一覧■はじめての方へ■
各号へは下のリンクをお使いくださいませ。
「河童の質流れ 一」
「河童の質流れ 二」
「河童の質流れ 三」
「河童の質流れ 四」
「河童の質流れ 五 (終章)」
カッパノシチナガレ 2
「ひ、人でない者。そ、それはどういう意味でございましょう」
影はすぐには応えませんでした。
店主はかたかたと瘧(おこり)が憑いたように震えはじめました。
「私どもは人間ではございません。それでも人のお金をお借りできる
のでしょうかとお尋ねしているのです」
するとそれを聞いた店主の震えがふと止まりました。
それはやはり商いの話に違いがないのです。
店主は少し落ち着いて火打ち石を拾い上げると灯芯に火をともしました。
そしてその行灯(あんどん)を自分の目の高さにまで持ち上げると、恐る恐る戸口の方へと向き直りました。
まだ充分に火が上がらず薄暗い光でしたが、その様子は表で見たときよりはっきりと見えました。
重なり合うように立つ二人の姿、その形。
三角を逆さにしたようなさいずち頭にひょろりと細い手足、行灯の光を受けて猫のように爛々らんらんと光る目。顔が裂けているのかと思うような大きな口、そして頭のてっぺんから足の先までびっしょりと濡れた体。
‥‥おそらくは手足の先には水かきが‥‥
「かか、かっ」
店主は顎をがくがくと震わせて、二歩、三歩、あとずさります。
「かっ」
膝の裏に框(かまち)が当たり、ぺたりと尻餅をつくように店主は腰を落としました。
「かっ、ぱ」
親の河童が頷きます。
「かっぱ‥‥様で、ご、御座いますか」
「はい、そうでございます」
腰に力が入りませんでしたが、商人としての気構えが、店主をその場に押し止めました。「な、なんともかんとも‥‥」それでも我知らずのうめきが漏れました。
「訳がありまして、どうしても私共には人間のお金が必要なのでございます。ですがこちら様では人ではないものがお金をお借りするなどはできぬ相談なのでございましょうか」
門口に佇(たたずんだ)まま河童が云いました。
質屋の主人はこの場の出来事に急いで思案を巡らせていましたが、事の次第があまりに思い掛けないため、すぐさまには何一つ答えることが出来ませんでした。
そのうち何処からともなく拍子木の音が聞こえてきました。町内持ち回りの火の用心が宵の口より早くも廻り始めたのでしょう。
街道沿いの小さな街でしたが近頃になって急に人が増え、今まではあまりなかったような窃盗や喧嘩口論の類いも増え始めていたのです。
店主の額についと皺がよりました。
‥‥いけない。こんな所を夜回りに見つかっては、どんなことになるやら分からない‥‥
「ご事情は店の中でお伺いいたしますから」
質屋の主人は店の外に出ると、河童たちを店に押し込むようにせき立てました。
中に入ると開いていた戸をぴしりと閉じました。
まるで一つの影のように寄り添う二人を框に掛けさせると、少し離して行灯を置き、主人は帳場に上がりました。
そして台帳を手に取ると、ようと一息つきました。
すると少しばかりは落ち着いて、いつもの調子が戻るような気がしました。
あらためて河童に向き直ると主人が話を切り出しました。
「さて、まことに申し訳の無いことでございますが、手前はまだ店を開けてよりの日が浅く、これまで人にあらざるお客様との御付き合いというものがございません。それゆえ正直なところ、お金を御貸し出来るやいなやの判断がつきかねるのです。そこでまことに失礼ではございますが、河童であるあなた様に何故なにゆえ人の金子きんすが御入り用なのか、そのあたりの御事情をお聞かせ頂くわけにはまいりませんでしょうか」
河童の親子は話す店主の顔をじっと見つめていました。
主人もまた話しながらも、そんな河童達の様子を見つめていました。
明かりの近くであらためて眺めると、なるほど、人とはなんとも違う河童の姿でありました。こちらに見える細い腕にびっしりとあるのは鱗のようであり、胸や腹、顔の辺りは人の肌より色が白く、陶器のようにつるつるとしている様子でした。
そして手指にはうわさの通り薄い膜のような水かきがあり、爪が細長く伸びていました。
しかし先程、猫のように鋭く光って見えた目は、光の側(そば)ではそれほどには輝いてはいず、思いあぐねた末にこの店の暖簾をくぐる、何事かにお困りのお客様方の目の色とかわりのないものに見えました。
河童は目を伏せ何やら考えるようすになりました。
子供の河童もその親の仕草を真似るのかそっくり同じに動きます。
そしてようやく話をまとめたか、親の河童は話し始めました。
「日頃、私共河童は、あまり人様とは関わらずに暮らしているのでございます。ところがどうしたものの弾みか、先日、私の夫が川漁師の網に掛かってしまいました。日頃はそうしたことが起こらないよう充分に気をつけているのですが、夏のこと故(ゆえ)きつい日差しに中(あたって)しまったのかも知れません‥‥」
そこまで云うと、河童は何か咽に詰まったものを吐き出すように息を吐つきました。
子ガッパも同じようにそうします。
なにぶん河童のことですから、人の言葉を話すのはつらいことなのかも知れないと主人は思いました。
「それで、私は夫を帰してもらおうと、訪ね訪ねてその漁師方(りょうしがた)の家へと行ったのです。でもそこに、夫の姿はございませんでした」
よくない予感に店主の顔がふと曇りました。
しかし河童はそれに気が付くふうもなく、また息を吐くと話を続けました。
「網を揚げた時、夫と一緒に上がったのは川をのぼって来た太刀魚だったそうなのでございます。それがかかった網の中で一緒にもまれて、太刀魚の尖ったくちばしが夫のおなかに刺さってしまっていたとか。それでその漁師方は、御親切にも町のお医者様に連れて行ってくださったのです」
ほうと、今度は河童と一緒に店主も息をつきました。
「急いでそちらに伺いますと、夫はお医者様の布団に寝かされて、うんうんと唸っておりました。普通なれば、河童にとって傷なぞはさほど恐ろしいものではございません。私たちの薬草を傷に当て、一晩ほおっておけばすっかり直ってしまうのです。ところがお医者様にはその薬草はございませんでした。そこで私がその薬草をすぐに採って参りますと言いますと、夫はそれを止めるのです。何でも、河童のようなものは一度人間の手触れられたなら、傷を直すにも人間の手で採られた薬草を使わぬ限り効き目はないのだと。それがどういうことなのか定かには判りませんが、とにかくそうしたものなのだと夫は云うのです。それを聞いたお医者は、ならば私が一緒に参ってその薬草を採ってやろうと云ってくださいました。ですが残念なことに薬草のある場所は、とても人の行けるところではありません」
店主は河童の不思議な話に聞き入っていました。
「薬草のある場所へは三里の距離、地の底を流れる川の中を濳(くぐっ)て行かねばならないのです。河童にとってはちょっとした遠出ぐらいのものでございますが、人の息はとてもそんなには持ちません。お医者様はそれを聞くとたいそう残念がっておいででした」
今度は子供の河童だけが息をつきました。
「お医者様としては一度手がけた者の体は何としても治したいのだとおっしゃって、八方手を尽くし、何とか人の世にその薬草が無いか探してくださったのです。それで‥‥」
「その薬草はあったのかい」
主人が思わず尋ねました。
「はい、大きな薬種問屋の倉の中に一本だけ。何でも遠い国から海を渡って運ばれてきたものだとか。人の薬としても大変に高価な万病に効く薬なのだそうでございます。事情を聞いた問屋のご主人はそうしたことに役立つなら儲けを抜いてでもお分けしましょうと云ってくださいましたが、それでも高価な品なのです。満足にお金を取らずに病人や怪我人を見ていらっしゃる先生にはとても買えるものではないと、先生は嘆かれて…」
質屋の主人はうなづきながら居住まいを正しました。
「それではそのお薬を買うための金子を工面しに私の店に参られたと、そういうことでございましょうか」
河童はほうと息を吐くと「はい」と答えました。
「それで、その金額はいかほどなのでございますか」
「それが一体どれほどの嵩かさのお金なのかは私には分かりませんが、百
円ということでございます…」
今度は質屋の主人の口からほーと声が漏れました。
百円といえばまったくもっての大金です。
維新前の金嵩でゆえば十両か、あるいはそれ以上。
店を開けて以来この方、まだまだ小さな商いばかりでそれほど大きな額を求められもしなければ、もちろん貸し付けたこともありません。
「まさしく、まさしくの大金でございますねぇ」
二匹の河童は質屋の主人の顔をじっと見つめていました。
陶器のような河童の膚(はだ)が眩しいほどに行灯の光を照り返していました。
「私どもの仕事はお困りの方に取り急いでの決済で金子をご用立てする商売でございます。しかしながら商売と申しますからには、ただ闇雲に貸付をする訳にはまいりません。そこでお貸しするお金の金額に見合う品物をお預かりするのでございます。これを質種(しちぐさ)と申しますが、そのあたりのことはご存知でいらっしゃいましょうか」
河童はこくりと頷くと、小さく丸められたような紙切れを店主に差し出しました。
主人はそれを受け取り、明かりにかざすように広げてみました。
渋紙のような硬い手触り、そこには『じぞうのつじ かめや』とただそれだけが書かれていました。
「手前の店の名、そして所書きでございますね」
「はい、私にこのお店の事を教えてくださった方が、人の世は不慣れであることだろうから迷わぬようにと持たせてくださいました。その方より質に預けねばならない品物の事はうかがいました。河童の持ち物ならさぞ珍しいものであるだろうから、その大金の種になるやも知れぬと云われました。それでその‥‥」
河童が息を吐きました。
店主はその小さな紙を改めて見つめると目を閉じました。
‥‥此処を寄る辺の先と教えてくれる方、そうしてこの店の名を大切に持って訪ねてくれる方‥‥
手前が店を開けてよりの期日の短さを思うと、まったくもって有難い限りだと質屋の主人は思いました。
「しかしながら、質種にするものなど河童には何ひとつございません」
続く言葉に店主は顔を上げました。
「私ども河童は、人のように物を持つということをいたしません。川で採れるものをその日のうちに皆で食す、ただそれだけの暮らしでございます。物というものがあるとすれば、それはもう自分の身のうちにあるものだけでございます。そこでこんなものより思い当たらず、持って参りました。」
河童は葦で編んだ荒巻のような包みをとりだしました。
はて、そんな包みなど持っていたのかと店主は少しばかり驚きました。
‥‥寄り添う二つの影の間に陰に隠れていたか、そうだとしてもお客さんの様子を見やることも質屋としての努めなればこれはもうまったくの失態だわい‥‥
そう思いながらも店主は包みを丁重に受け取りました。
「まずはとにかく、品物を改めさせていただきます」
丁寧に掛紐かけひもを解き包みを開き、光にかざして品を見た店主の顔色がたちまちのうちに変わりました。
店主は慌てて框を降りると行灯を手に取り、それを親子に近づけて二人を明るく照らし出しました。
河童を見つめる店主の口が何かを云おうと動きましたが、そこから言葉が出ることはなく、やがてその口元を強く引き結ぶと、両の目からはたはたと音を立てて涙が流れ出しましました。
そして河童の瞳に映る四角い行灯の形ががはっきりと見えるほどに店主は近づいて、手を差し出しましたがそこでとどまり、そのままどうすることもできずにその伸ばした手は力を失い垂れ下がりました。
つづく

この後妖怪短編シリーズとして3話を用意しています。
「続きを読む」でお話を読んでください。
■作品一覧■はじめての方へ■
各号へは下のリンクをお使いくださいませ。
「河童の質流れ 一」
「河童の質流れ 二」
「河童の質流れ 三」
「河童の質流れ 四」
「河童の質流れ 五 (終章)」
カッパノシチナガレ 2
「ひ、人でない者。そ、それはどういう意味でございましょう」
影はすぐには応えませんでした。
店主はかたかたと瘧(おこり)が憑いたように震えはじめました。
「私どもは人間ではございません。それでも人のお金をお借りできる
のでしょうかとお尋ねしているのです」
するとそれを聞いた店主の震えがふと止まりました。
それはやはり商いの話に違いがないのです。
店主は少し落ち着いて火打ち石を拾い上げると灯芯に火をともしました。
そしてその行灯(あんどん)を自分の目の高さにまで持ち上げると、恐る恐る戸口の方へと向き直りました。
まだ充分に火が上がらず薄暗い光でしたが、その様子は表で見たときよりはっきりと見えました。
重なり合うように立つ二人の姿、その形。
三角を逆さにしたようなさいずち頭にひょろりと細い手足、行灯の光を受けて猫のように爛々らんらんと光る目。顔が裂けているのかと思うような大きな口、そして頭のてっぺんから足の先までびっしょりと濡れた体。
‥‥おそらくは手足の先には水かきが‥‥
「かか、かっ」
店主は顎をがくがくと震わせて、二歩、三歩、あとずさります。
「かっ」
膝の裏に框(かまち)が当たり、ぺたりと尻餅をつくように店主は腰を落としました。
「かっ、ぱ」
親の河童が頷きます。
「かっぱ‥‥様で、ご、御座いますか」
「はい、そうでございます」
腰に力が入りませんでしたが、商人としての気構えが、店主をその場に押し止めました。「な、なんともかんとも‥‥」それでも我知らずのうめきが漏れました。
「訳がありまして、どうしても私共には人間のお金が必要なのでございます。ですがこちら様では人ではないものがお金をお借りするなどはできぬ相談なのでございましょうか」
門口に佇(たたずんだ)まま河童が云いました。
質屋の主人はこの場の出来事に急いで思案を巡らせていましたが、事の次第があまりに思い掛けないため、すぐさまには何一つ答えることが出来ませんでした。
そのうち何処からともなく拍子木の音が聞こえてきました。町内持ち回りの火の用心が宵の口より早くも廻り始めたのでしょう。
街道沿いの小さな街でしたが近頃になって急に人が増え、今まではあまりなかったような窃盗や喧嘩口論の類いも増え始めていたのです。
店主の額についと皺がよりました。
‥‥いけない。こんな所を夜回りに見つかっては、どんなことになるやら分からない‥‥
「ご事情は店の中でお伺いいたしますから」
質屋の主人は店の外に出ると、河童たちを店に押し込むようにせき立てました。
中に入ると開いていた戸をぴしりと閉じました。
まるで一つの影のように寄り添う二人を框に掛けさせると、少し離して行灯を置き、主人は帳場に上がりました。
そして台帳を手に取ると、ようと一息つきました。
すると少しばかりは落ち着いて、いつもの調子が戻るような気がしました。
あらためて河童に向き直ると主人が話を切り出しました。
「さて、まことに申し訳の無いことでございますが、手前はまだ店を開けてよりの日が浅く、これまで人にあらざるお客様との御付き合いというものがございません。それゆえ正直なところ、お金を御貸し出来るやいなやの判断がつきかねるのです。そこでまことに失礼ではございますが、河童であるあなた様に何故なにゆえ人の金子きんすが御入り用なのか、そのあたりの御事情をお聞かせ頂くわけにはまいりませんでしょうか」
河童の親子は話す店主の顔をじっと見つめていました。
主人もまた話しながらも、そんな河童達の様子を見つめていました。
明かりの近くであらためて眺めると、なるほど、人とはなんとも違う河童の姿でありました。こちらに見える細い腕にびっしりとあるのは鱗のようであり、胸や腹、顔の辺りは人の肌より色が白く、陶器のようにつるつるとしている様子でした。
そして手指にはうわさの通り薄い膜のような水かきがあり、爪が細長く伸びていました。
しかし先程、猫のように鋭く光って見えた目は、光の側(そば)ではそれほどには輝いてはいず、思いあぐねた末にこの店の暖簾をくぐる、何事かにお困りのお客様方の目の色とかわりのないものに見えました。
河童は目を伏せ何やら考えるようすになりました。
子供の河童もその親の仕草を真似るのかそっくり同じに動きます。
そしてようやく話をまとめたか、親の河童は話し始めました。
「日頃、私共河童は、あまり人様とは関わらずに暮らしているのでございます。ところがどうしたものの弾みか、先日、私の夫が川漁師の網に掛かってしまいました。日頃はそうしたことが起こらないよう充分に気をつけているのですが、夏のこと故(ゆえ)きつい日差しに中(あたって)しまったのかも知れません‥‥」
そこまで云うと、河童は何か咽に詰まったものを吐き出すように息を吐つきました。
子ガッパも同じようにそうします。
なにぶん河童のことですから、人の言葉を話すのはつらいことなのかも知れないと主人は思いました。
「それで、私は夫を帰してもらおうと、訪ね訪ねてその漁師方(りょうしがた)の家へと行ったのです。でもそこに、夫の姿はございませんでした」
よくない予感に店主の顔がふと曇りました。
しかし河童はそれに気が付くふうもなく、また息を吐くと話を続けました。
「網を揚げた時、夫と一緒に上がったのは川をのぼって来た太刀魚だったそうなのでございます。それがかかった網の中で一緒にもまれて、太刀魚の尖ったくちばしが夫のおなかに刺さってしまっていたとか。それでその漁師方は、御親切にも町のお医者様に連れて行ってくださったのです」
ほうと、今度は河童と一緒に店主も息をつきました。
「急いでそちらに伺いますと、夫はお医者様の布団に寝かされて、うんうんと唸っておりました。普通なれば、河童にとって傷なぞはさほど恐ろしいものではございません。私たちの薬草を傷に当て、一晩ほおっておけばすっかり直ってしまうのです。ところがお医者様にはその薬草はございませんでした。そこで私がその薬草をすぐに採って参りますと言いますと、夫はそれを止めるのです。何でも、河童のようなものは一度人間の手触れられたなら、傷を直すにも人間の手で採られた薬草を使わぬ限り効き目はないのだと。それがどういうことなのか定かには判りませんが、とにかくそうしたものなのだと夫は云うのです。それを聞いたお医者は、ならば私が一緒に参ってその薬草を採ってやろうと云ってくださいました。ですが残念なことに薬草のある場所は、とても人の行けるところではありません」
店主は河童の不思議な話に聞き入っていました。
「薬草のある場所へは三里の距離、地の底を流れる川の中を濳(くぐっ)て行かねばならないのです。河童にとってはちょっとした遠出ぐらいのものでございますが、人の息はとてもそんなには持ちません。お医者様はそれを聞くとたいそう残念がっておいででした」
今度は子供の河童だけが息をつきました。
「お医者様としては一度手がけた者の体は何としても治したいのだとおっしゃって、八方手を尽くし、何とか人の世にその薬草が無いか探してくださったのです。それで‥‥」
「その薬草はあったのかい」
主人が思わず尋ねました。
「はい、大きな薬種問屋の倉の中に一本だけ。何でも遠い国から海を渡って運ばれてきたものだとか。人の薬としても大変に高価な万病に効く薬なのだそうでございます。事情を聞いた問屋のご主人はそうしたことに役立つなら儲けを抜いてでもお分けしましょうと云ってくださいましたが、それでも高価な品なのです。満足にお金を取らずに病人や怪我人を見ていらっしゃる先生にはとても買えるものではないと、先生は嘆かれて…」
質屋の主人はうなづきながら居住まいを正しました。
「それではそのお薬を買うための金子を工面しに私の店に参られたと、そういうことでございましょうか」
河童はほうと息を吐くと「はい」と答えました。
「それで、その金額はいかほどなのでございますか」
「それが一体どれほどの嵩かさのお金なのかは私には分かりませんが、百
円ということでございます…」
今度は質屋の主人の口からほーと声が漏れました。
百円といえばまったくもっての大金です。
維新前の金嵩でゆえば十両か、あるいはそれ以上。
店を開けて以来この方、まだまだ小さな商いばかりでそれほど大きな額を求められもしなければ、もちろん貸し付けたこともありません。
「まさしく、まさしくの大金でございますねぇ」
二匹の河童は質屋の主人の顔をじっと見つめていました。
陶器のような河童の膚(はだ)が眩しいほどに行灯の光を照り返していました。
「私どもの仕事はお困りの方に取り急いでの決済で金子をご用立てする商売でございます。しかしながら商売と申しますからには、ただ闇雲に貸付をする訳にはまいりません。そこでお貸しするお金の金額に見合う品物をお預かりするのでございます。これを質種(しちぐさ)と申しますが、そのあたりのことはご存知でいらっしゃいましょうか」
河童はこくりと頷くと、小さく丸められたような紙切れを店主に差し出しました。
主人はそれを受け取り、明かりにかざすように広げてみました。
渋紙のような硬い手触り、そこには『じぞうのつじ かめや』とただそれだけが書かれていました。
「手前の店の名、そして所書きでございますね」
「はい、私にこのお店の事を教えてくださった方が、人の世は不慣れであることだろうから迷わぬようにと持たせてくださいました。その方より質に預けねばならない品物の事はうかがいました。河童の持ち物ならさぞ珍しいものであるだろうから、その大金の種になるやも知れぬと云われました。それでその‥‥」
河童が息を吐きました。
店主はその小さな紙を改めて見つめると目を閉じました。
‥‥此処を寄る辺の先と教えてくれる方、そうしてこの店の名を大切に持って訪ねてくれる方‥‥
手前が店を開けてよりの期日の短さを思うと、まったくもって有難い限りだと質屋の主人は思いました。
「しかしながら、質種にするものなど河童には何ひとつございません」
続く言葉に店主は顔を上げました。
「私ども河童は、人のように物を持つということをいたしません。川で採れるものをその日のうちに皆で食す、ただそれだけの暮らしでございます。物というものがあるとすれば、それはもう自分の身のうちにあるものだけでございます。そこでこんなものより思い当たらず、持って参りました。」
河童は葦で編んだ荒巻のような包みをとりだしました。
はて、そんな包みなど持っていたのかと店主は少しばかり驚きました。
‥‥寄り添う二つの影の間に陰に隠れていたか、そうだとしてもお客さんの様子を見やることも質屋としての努めなればこれはもうまったくの失態だわい‥‥
そう思いながらも店主は包みを丁重に受け取りました。
「まずはとにかく、品物を改めさせていただきます」
丁寧に掛紐かけひもを解き包みを開き、光にかざして品を見た店主の顔色がたちまちのうちに変わりました。
店主は慌てて框を降りると行灯を手に取り、それを親子に近づけて二人を明るく照らし出しました。
河童を見つめる店主の口が何かを云おうと動きましたが、そこから言葉が出ることはなく、やがてその口元を強く引き結ぶと、両の目からはたはたと音を立てて涙が流れ出しましました。
そして河童の瞳に映る四角い行灯の形ががはっきりと見えるほどに店主は近づいて、手を差し出しましたがそこでとどまり、そのままどうすることもできずにその伸ばした手は力を失い垂れ下がりました。
つづく
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://kitazakisirohiko.blog103.fc2.com/tb.php/92-1c10a59f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

