「ゆめみるケモノ」

ちょっと不思議なお話や、お菓子にまつわるショートストーリーを掲載します。

2008-08

いらずの猫 七

春の海は静かでゆったりとしていて、一年でいちばん優しい感じがします。

春の海

今年の春は二回も海岸に出かけました。
いや、たぶんもう一回ぐらい行くような気がします。


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          四


 大工道具の手入れをしながら隣の亭主が云いました。

「横の屋敷は、たしか女一人だよなあ」
 女房が応えました。

「あの古家かい、そうだけど‥‥」
「じゃあ何だろあれは」
「あれはって、何だよ」
「半月ほど前からさ‥‥夜になると聞こえるんだ」

「え」
「話し声とか、笑い声‥‥」

「嫌だよ、気持ち悪い‥‥でもお前さん耳だけはいいからねえ。だけどそりゃあ御客なんかが来てるんだろ」
「でもおまえ、あの屋敷に人は出入りしないって云ってたじゃないか」
「そうだよ、気持ち悪い猫なんか飼っててさ、なんか訳ありそうでね、近所付き合いもないしね、身内だって来やしないのさ」
「じゃあ何だろ‥‥」
「何だろねえ‥‥」

 そこまで云って女房が黙り込みました。

 それきり二人の間にその話が続くことはありませんでしたが、夜が明けると間もなく、せんの家を取り巻くように噂の輪が広がりました。
 大方の女房達はせんの家にはあまり関心が無いのか、気が付くところは何もないようでした。しかしいく人かは、そう云えば見知らぬ娘が出入りするのを見ただとか、生け垣が高くて良くは分からないが、夜遅くまで明かりが灯っているようだといい出し、それは井戸端での格好の関心事となりました。

 ひとしきり古い噂にまで遡さかのぼって話した後、最初にそれを云いだした隣の女房が話に決まりを付けるように云いました。

「何しろ女の一人暮らしじゃないか、だからさ、心配で心配で‥‥」

 それで女房たちの話はまとまり、何人かで連れ立って庭に忍び込んで、せんの家のようすを確かめることになりました。



 世間が眠りに就いた頃、そっと家を抜け出した三人の女房が路地で落ち合いました。

「たしかに、こうして耳を澄ましてみると何だか聞こえるね」
「こんな遅くに女一人の家から何か聞こえるって変だよ」
「だからさ、とにかくまあ確かめるしかないんだよ」

 そんな事を話し合いながら、せんの家の鬱蒼(うっそう)と茂る生け垣をかき分け、その庭先へと三人は入り込みました。背を丸め腰を低くして庭木の間をすり抜け、やがて縁側にとりつくと、なるほど奥の座敷に明かりが灯り、それが障子に漏れていることが良く分かります。

「皆が云ってることは本当だったね」
 ひそひそ声で隣の女房が云うと二人は黙って頷きます。
 そのとき子供が立てるようなひときわ高い歓声が聞こえました。
 三人は目を剥いて顔を見合わせました。

「でも障子は閉っているし、このままじゃ確かめようが無いよ」
 いちばん歳の若い女房が云うのを聞いて、隣の女房がたしなめるように云いました。
「そんな事云ったって物騒な世の中、一人暮らしのか弱い女を放っては置けないだろうよ」

 云い終わるか終わらないうちに隣の女房は自分の指をぺろりと舐めると傍(はた)の二人があっという間もなく、ずぶりと障子に差し込みました。そして縁側に這い登ると膝をついて、その穴に顔を寄せます。

「どんなことになっているか確かめておかなくちゃ、ね‥‥中の襖がちょっと開いてるよ‥‥奥はずいぶん明るいねえ」
 二人は隣の女房を挟み込むように寄り添い、見えないながらも中のようすを探ろうとします。

「何だろうあれは‥‥人形かね‥‥いやだ、お雛さまだよ。何だって今時分あんなものを置いてんだろ‥‥でも襖のすき間が小さくて良く見えないねえ」
 二人は障子を覗く女房が云うのを耳をそばだてて聞いておりました。

「なんだいあれは、派手な着物だねえ、若い娘がいるというのはあれのことかね‥‥踊ってるよ、こんな夜中に‥‥あ、こっちを向いた……こ、これ、押すんじゃないってば」
 障子から顔を放し隣の女房は二人を押しのけました。

「そんなに見たきゃそれぞれ自分の穴を開けりゃあいいんだよ」
 云われた通り二人も障子に穴を開けると、三つの眼が座敷を覗き込みました。

「踊ってるねえ‥‥踊ってる‥‥上げて、上げて、下ろしてまわるか‥‥あ、あれは娘じゃないよ。ここのいかず後家じゃないかね。あっりゃー、これは一体どういうことなんだい」
 隣の女房が尋ねましたが両側の女房に解るはずもなく、二人は穴に目をつけたまま首を振りました。

「やっぱり、もう一人いるみたい」
 年の若い女房が云うのを聞いて隣の女房は慌てて穴を覗き込みました。

「ほんと、襖の陰に隠れているのは違う柄の振り袖だ…あ、立ち上がった‥‥あれも踊るのかえ‥‥あれ、私の目がおかしいのかね、なんだかあの娘のお尻の辺りに、白くてふわふわしたものがないかい」
 隣の女房は覗いてないほうの眼をしきりにこすりました。

「あるある、白いのが二本」
 年の若い女房が云いました。
「そうだよねえ、あれは何だろ」

 それが何であるかを三人が知るのはそのすぐ後のことでした。


 せんがきぬの姿形にこだわらないことを知ったのと、白酒に酔っていることもあり、家の中でのきぬの変化(へんげ)は元のような杜撰(ずさん)なものに戻っておりました。
 しかし酔ったりとは云え猫の感までが鈍ることはなく、庭先から覗いている三人には最初のうちから気が付いておりました。

 覗いていたことを二度と思い出せないほどに肝を潰させてやろう、そう考えてきぬは機会をうかがっておりました。

「ふわー」

 覗いていることも忘れて三人が一緒に声を上げました。

 振り袖の娘がいきなりぴょんと飛び上がり、空中高くとんぼを切ったのです。
 そしてそのまま何度もまわりながらこちらに近づくと、中から勢い良く障子が開けられました。
 三人は覗いていた格好のまま仰向けに転びました。

 きぬは三人の上に覆いかぶさるように立つと、爛々と輝く金色の目で一人ずつを順番に睨付ねめつけ、真っ赤な口を大きく開けて云いました。

「みぃ、たぁ、なー」

 そんな顔で凄まれたのだからたまりません。
 二人はその場で泡を吹いて卒倒し、隣の女房は金切り声を上げながら庭を這いずりまわりました。

「ばっ、ばけ、化け猫ー」

 その声を聞いて充分と考え、きぬは座敷に入ると襖をぴしりと閉めました。
 奥ではきぬの見事なとんぼがえりに、せんが手を打って喜んでいました。


 しばらくはわあわと声を上げながらあたりを這い回っていた隣の女房でしたが、きぬの姿がその場に無いことに気が付くと抜けていた腰に力が入りました。そしてついでに火事場の大力が湧いたのか、白目をむいてのびている二人の女房を両脇に抱えると、小走りに庭を駆け抜け裏木戸を蹴り飛ばして路地へと逃げて行きました。

「なんと、力持ちの女の居ること」

 きぬは細目に空けた障子の隙間からそのようすを見ておかしく思いましたが、事は思ったようには収まりませんでした。


つづく

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長く続けて行くというのは決めているんですが、どれくらいの方に読んでいただけているのかと思うと、とにかく寂しいです。
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